クリード/炎の宿敵感想メモ

完全に自分用メモです。
ネタバレ・ネガティブな感想も含まれます

見終わって真顔でエンドロールを眺めました。あんなにボロボロ泣いたクリードとは違って、クリード2(炎の宿敵)はそういうのがなかった。
なんでだろう…と自問自答するためにこのテキストを書いています。映画を見て思ったことを書いているだけの日記です。

まず監督の撮り方が私にはあんまり向いてないというか、単純な好みとしてあんま好きじゃなかったというのはあるのですが、試合シーンが見づらくない…?何が起きてるというかスポーツとして見辛くて…画がなんか…この監督さんの『静』のカットはすごく好きなんですけどロッキーやクリードで重要なシーンってやっぱボクシングシーンで、なんだろう…まあ好みの問題ですね。ラストの試合シーンで眠たくなるという衝撃の体験をしてしまいショックでした。単調な感じを受けました。前作の緩急の付け方がすごかったというのもありますが。

ドルフ。
まずはじめにドルフのシーンで始まるとは一切思っていなかったので「えっ……」ってなりました。ドルフのオタク、みんなあの後ろ姿だけで目を見開いたよな…?よく比喩表現的なアレで「映画開始3秒で泣いたわw」みたいのがありますが、まじで本編開始3秒でドルフ出てくるとは思ってないじゃないですか?マジでさ…?こちらのお気持ちも察してくれ頼む!!!!!!!(?)
なんというかドラゴというキャラクター、ドルフ・ラングレンである!!!の気持ちがまっさきに襲ってきて倒れるのでまだドラゴさんとして認識できておらず、なんて言ったらいいんだろう、ドルフが「ロッキー4/炎の友情」で大きくデビューしてからあれやこれやあって…このあたりは今すぐドルフの出演作品一覧を見ていただけると…という感じなのですが、ドルフファンとしてこの作品群をぼちぼち追って、「なんでこれ見てるんだろう」となったり、ドルフファン同士のやりとりで「このドルフ映画おすすめです!寝ませんでしたよ〜!」というワードが頻繁に登場したり、挙句の果てには本人まで「僕の出演作で面白いのは3本くらいだからね(意訳)」と言い出す始末の界隈におり、今でこそアクアマンとかこのクリード炎の宿敵とか出てうお〜〜ドルフ〜〜!ってなってますけど、いっときは明らかにマジで仕事がなくてFBでファンからの質問に毎日丁寧に答えてたり、電話質問教室みたいのやったり、スウェーデンのラジオに出たり、よくわからんライブに出て氷叩き割ったり、ああ、今、多分本当に、お仕事ないんだ………という時期も追って、それでもわけのわからん新作を必死に観に行って、なぜか日本(銀座シネパトス)でのみ公開された「マキシマム・ブロウ」とか、日本でのみ映画館公開やぞドルフ来日しろ!!!!!などと興奮したりとにかくそういう時間を私はドルフと共有していたのです。ファンとして。それで、2018年に公開された映画で(日本では2019年)、超A級映画で、こういう脚本をプレゼントしてもらえた。ドルフは人生の途中、俳優としてのキャリアを終えようともしているんです。それでも続けた。継続した。努力を続けた。だからこれはスタローンからのすてきなプレゼントだなと思いながら映画館をあとにしました。エクスペでもオイシイシナリオもらったな!って思ったけど、このクリード2、すごいよな。あのラストカットを入れてもらえる。ドルフの努力が実ったんだってぼんやりスクリーンを見てました。おめでとうドルフ。今もこの世界にいてくれてありがとう。

ロッキー。
私はクリード2がめちゃくちゃ楽しみだったので、これは絶対に全作品再制覇してから行くぞ!の民として12月から公開順に鑑賞しなおしました。ロッキー1、2、3、4、5、ファイナル、前日にクリード、そしてクリード2。今見るとロッキー1と2の間のとり方がとっても好き。そしてあらためてロッキーという人がぶれていないことを再確認します。ロッキーはずっとロッキー。時と年齢を重ねて、風貌が変わって、筋肉がすごい!とかなんだか垢抜けた!とか髪型が変わった!とかさすがに年とったな〜!とか、当たり前だけどシルベスター・スタローンとともに今を歩んでいくロッキー・バルボアがそこにいます。それでも変わらない。ロッキーのなんだか長々とした口説き文句。いつもの帽子。言葉の間のとり方。口をギュっとしてひと呼吸おくリズム。ボールをぽーん、ぽーんと投げてキャッチする動き。1作目から何も変わっていないロッキー。クリードくんにトレーナーをしてくれと頼まれ、その場にはロッキーしかいないのに後ろを振り返って「ん?誰に頼んでるんだ?」なんてジェスチャーを見せるロッキー。カナダまで息子夫婦と孫に会いに来たのに、本人を目の前にして「近くに来たから」なんて言い出すロッキー。なんにも変わってない。でもいつでも困難に自ら立ち向かっている。それはガンだったり息子夫婦との関係だったり妻との別れだったり孤独だったり悲しみだったりするけれど、でも、いつでも自分自身と戦っている。諦めずにチャレンジしている。だから、なんにも変わってない。
ロッキー1があれだけヒットして、私はハリウッドの人間じゃないから詳しいことは知らないけど、でもきっともっとお金を儲けるためにとあらゆるビジネスの話が舞い込んだりしたんじゃないかなと思っていて、その中にはロッキーのキャラクターがブレるものもあったと推測できるけど、スタローンはロッキーを守った。2018年まで、きっちり守り通した。大切に演じ続けて、ロッキーという人物をこの世界に存在させた。だってフィラデルフィアにロッキーおるもん。フィラデルフィア行ったことないけど絶対いるでしょ。押しに弱くて情に厚いロッキー・バルボアが。そういう世界を確立して、これだけ長い間演じ続けてくれて、かつ一切ブレることのなかったキャラクターを他に知りません。エイドリアンにプロポーズしたときの話を振られて、細かな思い出話をいつものリズムで話し始めるロッキーはロッキーそのもので、まあロッキー本人なんだからそうなんだけど、ロッキーがそこにいた。2019年のスクリーンに。これだけの長い年月ひとりのキャラクターを演じる困難は私には想像もできない。自らの生涯をかけて演じきったスタローン。やっぱりスタローンは天才です。

今回の映画にどうしても乗り切れなかった理由がだんだんわかってきて、私は短期間であらためてロッキー全作を見直してしまったので、いま完全に気持ちがロッキーファンなんですね。映画「メジャーリーグ」を見ているうちに完全にリッキーのファンになり「リッキーもうやめてあなたその相手にこないだの試合でボコボコにされたじゃない打たれたらどうしようああ神様…………」という気持ちで球場にいるファンになって祈り始める人間です(大丈夫かな?)。だから「クリード2」という映画も、クリードくんが主人公だとわかっていながらどこかでロッキーのようなクリードくんを期待してしまった。クリードくんはクリードくんなのに。この映画のタイトルは明確に「クリード」であるのに。
そして、ロッキーは試合後にひとりでリングを眺めるカットで自らの“今まで”にピリオドを打った。あのカットは私にとってロッキーの葬儀で、葬式で、葬式というのは亡くなった本人ではなく周りの人がその事実を受け入れ切り替えて生きていくためにあるものだと思っているのですが、ロッキー全作を堪能してロッキー!ロッキー!!となった脳みそでクリード2を見たらロッキーの葬式概念をぶつけられ、ちょっとまってちょっとまってまって、たのむ、お願い待って、いやだ、ロッキー、クリードくんも好きだけどロッキーあなたはまだそこにいてほしい離れないで消えないでお願い……と懇願したのですね。書いててやっと気持ちの整理がついてきた。
あのあとも続編出すことは可能でしょうが、私の中でロッキーはあの場面で明確にピリオドを打ちました。世代交代。次の世代へのバトン。親から子へ。師から弟へ。でもまだちょっと追いついてないから待って。
なによりもずっと元気でいて。お願い…よ……

好きなシーン。
ロッキ〜がカナダにがんばっていくシーン(最高)。
イワン・ドラゴさんが息子さんと並走するシーン。それまで車で追い回しはよ走れと指導していたドラゴさんが人として隣に立つ。『試合に負けた人間』を見捨てたりせず、ともに生きる。これからも共闘していく。映画、言葉いらねえな〜〜〜と久しぶり思ってよかった。言葉もいるんだけど言葉はいらないんだよ。

うわ~ってなったシーン。
夏フェスがんばります!→妊娠・・・!!!!!のシーン…。男性と女性のからだのつくりに違いがあるし、現実問題としてどうしても同じように生きていくのは難しいけど、夏フェスの話をしたときの彼女のすてきな笑顔がぐっときてたから、旦那さんのクリードくんはそのまま突き進んで特訓にも出かけて夢を叶えるけど、でもその間ビアンカちゃんが赤ちゃんのお世話してるんや、はっきり言ってなかったけどたぶん妊娠が理由で夏フェスとか事務所の推しもなくなったんだろうな、と思ってうわーーーーッてなりました。

言いたいこと多分もうちょいあるけどここまで。ビアンカちゃんかわいいな〜、クリードくんのママすっごい好き、ドラゴさん親子いいよね、そんな感じです。本当にあの並走シーンめちゃくちゃ好きなんだ。

クリード 炎の宿敵 [Blu-ray]
マイケル・B・ジョーダン(出演), シルベスター・スタローン(出演), テサ・トンプソン(出演), フロリアン・ムンテアヌ(出演), ブリジット・ニールセン(出演), スティーブン・ケイプル・Jr.(監督)
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